目次
クドーって誰?
※かなり長いのでご了承ください。
大阪生まれ大阪育ちの20台半ばの男性です。
22歳で大学を卒業後、「ほーん?そっか」くらいの学歴の大学でしたが、ちょっとだけ就職活動を頑張ったおかげもあってか東証一部上場の物流系企業に入社しました。
でも、一年も経たずに辞めてしまいました。
その後、仕事を転々とし、現在はSEいわゆるシステムエンジニアの仕事をしています。
趣味とかあんの?
趣味はゲームとカラオケが大部分を占めています。
といっても様々なゲームに手を出すわけではなく、触るゲームの種類は少ないです。
基本的にフットワークは重くてインドアなのですがアクティブなところだと、京都の名所に観光にいったりもします。
- ゲーム(主にスマブラシリーズ、某オンラインゲーム)
- カラオケ
- 映画
- 京都観光
学生時代何してた?どんな風に過ごした?(小学生時代)
どこまでさかのぼるか悩みものですね。
小学生時代からにしましょうか。
小学生時代はやんちゃ坊主ではなくておとなしい男の子でした。
学生時代もゲームが好きで携帯ゲームや、カードゲームを嗜んでおりました。
その割には同学年の生徒と親しくしており、男女問わずほぼすべての生徒と最低1度は放課後に遊んだ記憶があります。(こう書くとおとなしいように見えませんが…)
中学生時代
このころは、多くのひとが第二反抗期のピークですね。
僕も両親に反抗したり、斜に構えた行動をとっていました。笑
入学後は運動系の部活に入ろうと思いましたが、小学生時代特段スポーツが得意なわけではなかったのでどのクラブに入るか迷っていました。
そして、結局入ったのは卓球部でした。
選んだ理由としては
- 仲の良い友人がいた
- 主に個人競技なので気楽にできそうだった
- 不良がいない部活が良かった
上記の3つが主な理由ですね。
3つのうち2つは人間関係にかかわってますね。
小学生のころから仲が良い友人がいたほうがもちろん過ごしやすいですし、
不良がいない部活が良いという理由に関してなんですけど、僕の母校は比較的
ヤンキーが多く、あまり仲良くしたくなかったんですね。
多くは割愛しますが、万引きや暴力などで “かける必要のない迷惑”を人にかけて日々を過ごす彼らを見ているとうんざりしていました。
話を戻します。
部活は3年間続け、地区大会ではダブルスで3位をとったこともあるので人並よりはうまいんじゃないかなと思います。
大好きなゲームも続けており、当時はポケモンやスマブラ、モンハンにハマっていました。
現在もプレイしている某オンラインゲーム(ずっと続けていた訳ではないですが)と出会ったのもこの時だと考えると感慨深いです。笑
交友関係も男女を意識しだす年ごろなので、恥ずかしがって女の子と一言も話さないとまではいかなくとも、男友達が多かったです。
個人的に自身の過去において一番楽しい時期でした。
中学生時代を一緒に過ごした友人で特に仲が良かった友人は今でも交流があるくらいです。
もちろん一番楽しいのは今現在ですけどね。
このころに後に続く人格が固まってきたような気がします。
高校生時代
中学時代に勉学に励んでいた訳では無かったので、学力はそこまで高くなかったのですが、あえて1段ランクを下げた高校に入学しました。
通学が楽なところが良かった
勉強して手の届く高校は少し遠くて、自転車で片道30分弱かかります。
寝坊したり、雨が降ったら学校に行くのがめんどくさくてたまらないんじゃないかと思いましたね。
フットワークの重い僕にとって行かない理由として一番大きいものでした。笑
ですので家から近くて自転車で5分で行ける近所の高校を選びました。
学力は結局自分次第だと思った
中学時代はヤンキーが目立っていたものの、市立なのでバカばかりではなく少数ですが学力の高い友人もいました。
大阪でもトップクラスの高校に進学した友人を見ていると、学校の偏差値なんかより自分が頑張るかどうかだなと思うことができました。
小中と仲が良い友人がいた
部活を選んだ時と同じ理由ですね。
やっぱり気の置けない友人がいると楽です。
今考えると心機一転あたらしい高校に行くのもありでしたね。
その後の人生がどう変わっていたかは神のみぞ知るですが…
本題に戻ります
高校時代は部活に入っておらず、アルバイトをしておりました。
この時家族の間で大きな変化がありました。
祖父が起こした同族経営の会社が倒産したからです。
僕の父は専務であり、父は祖父の連帯保証人だったのでその影響は、祖父らだけでなく、僕の家族にも及びました。
父が涙を滲ませて僕に頭をさげる姿は一生忘れられません。
そういった経緯で、家計が苦しかったということと、社会経験を積みたかった、特に、”知らない人と話す練習がしたかった”からアルバイトをしていた訳です。
アルバイトをするなかで、これまで僕が学べなかった先輩後輩といった上下関係を知る経験になったり、歳の離れた方と話す力は培われました。
アルバイトのこともまた記事にしたいと思います。
そんなわけでアルバイトをしながら勉強とゲームをして日々を過ごしてました。
当時もやっていたコンシューマーゲームはやはりポケモンとスマブラXですね。
ポケモンはレーティングバトルで全国で3000位くらいになる程度にはやっておりました。微妙ですね。
勉強はそこそこ頑張っていたので学年で二十位から一桁くらいの順位をキープしてました。
(高校3年生の時に初めて彼女もできました。)
大学時代
通学距離は一時間以内
大学も高校の時の同じで通学時間を重要視していました。
頻繁に通うことになる学校なのでどうしてもここは譲れませんでした。
そのうえで偏差値も重視して大学選び
高校の時のようにランクを落とすことはせず、頑張れば手の届く合格ラインの大学を
いくつかピックアップしました。
そしてその中から通学のしやすさと学びたい学部があるかどうかを吟味して選びました。
その結果
- 通学は家から大学の校門まで片道1時間弱
- 電車は乗り換え無し
- 関西ではそこそこ知名度のある大学
こんな条件の大学に通うことになりました。
学校生活は1年生(1回生と呼ぶのは関西のみらしい?)のときは6〜8人くらいで群れて行動しがちです。
僕も最初の数ヶ月は団体でうろうろしておりましたが、さすがに6人ほどとなると昼食を食べるために席をとるのが難しかったですね。
毎回食堂にいったら席が空くのを待つか、少し早く授業が終わったやつが席の確保をする必要があります。
めんどくさがりな僕にはそんなこと毎回やってられませんでした笑
[大学あるある:すれ違ったらとりあえず挨拶だけする友人]
(うっす)
(おぉ。)
これ意味あるのかって感じです笑
とかいいつつもサークルに入っていなかった僕はテストの対策方法などを先輩から聞くことができないので、浅い友達でも邪険にはせず、それとなくは仲良くしていたため、おこぼれ(テストの傾向など)を享受することができていたのでうまく立ち回れていたのではないかと思います笑
4年生は就活の時期です。
僕はまさかの自己流でやっておりました。
大学の就活支援サービスやインターンなどは一切使用せずに行っていました。
アルバイト先の先輩(めちゃ賢い)に時間を作ってもらって話を聞かせていただいたり、
学校が配布してくれたスーパーウルトラアイテム”四季報”を眺めたり、面接で面接の練習(!?)をしていました。
・・・長くなりそうなのでこれもまた別の記事にしましょうか。
アルバイトで年齢の離れた大人の方と話す経験が活きたのと、就職活動をそれなりにがんばっていたので夏になる前にはすでに就活を無事終えていました。
東証一部上場の総合物流大企業に内定が決まり、卒業後も安泰かと思われました。
ここが僕の人生において失敗でした。
大学を卒業後、入社
大学卒業後、4月
会社員としての日々が始まりました。
3週間ほどの研修を終え、辞令がくだります。
それはまさかの配属先でした・・・
社宅無し片道2時間半の通勤を命ぜられました。
通勤通学は1時間以内の僕のポリシーに大きく反しています。
もちろん、譲歩してもらえないか交渉しました。
辞令は一度出ると変更は難しく、社宅はまだ使えない、しかもぎりぎり通える距離(!?)なので1年間は我慢してほしいとのことでした。
納得はいきませんでしたが仕事をつづけました。
仕事を続けていくものの9時出社に間に合わせるために毎日5時半起きはかなり大変です。
業界の風習もあってか上下関係がかなり厳格なため、何にもできない新人の僕は30分前には会社に到着して倉庫内の掃き掃除やデスクや窓拭きしないといけない雰囲気がありました。
この時点でとても辞めたくなりました。
辞めようと思っていることを親に告げると「大学にいった意味がない」「最低3年は務めないといけない」と言われ、ネットでもすぐに会社をやめると経歴がないため再就職は難しいなどと書かれておりました。
自分自身も初めての正社員になってすぐ退職することに葛藤はありました。
しかし僕は1年目にして辞めることを決意しました。
理由は以下の通りです。
- 朝の2時間半通勤のストレス
- 休憩室が喫煙室と化しているため昼食が苦痛
- 総合職()ということで倉庫内で作業する作業員が手一杯なので、軽い荷物(10キロ)の荷下ろしを手伝わさせられる。
- 荷下ろしする荷物が陶器のためめっちゃ重い(10キロ)
- 勤務地が最寄り駅から徒歩20分
- そんな立地にも拘わらず新人一年目は、安全のためという名目で車通勤不可
- 業務時間外の8時半から掃除や雑務をするのがばからしい
上3つがさっさとやめようと思った決定的な理由です。
朝の通勤に関しては先ほど述べたとおりですね。
当時は新人だったので残業ほぼ無しの定時あがりでしたが、今後仕事を続けていくと。先輩のように20時21時と残るようになったら、そこから二時間半かけて自宅に帰らないといけないのかと考えると気が遠くなりました。
あと物流業界なのでトラックの運転手さんや、倉庫内でリフトを操作する作業員もいます。
職業柄もあってか、たばこをほぼ全員吸います。
僕はたばこの臭いがこの上なく嫌いです。
何が悲しくて昼休憩にたばこの臭いが充満した休憩室で昼ご飯を食べないといけないのか…
これらの理由があって僕はせっかく入った東証一部上場企業を入社後半年で辞めました。
結果として僕は業界選定、会社選びを誤りました。
これから就活を迎える方には同じ結果にならないでほしいですね。
会社退職~現在
会社を退職した後は、考え方が変わりました。
必ずしも会社員になる必要はない。あくまで生活する資金を得るための手段であるんだなぁと思いました。
自分自身でお金を稼げるのならば、それでいいのではないかと。(法的、道徳的に反することはもちろんだめ)
そこでアルバイトをしながらアフィリエイトや物販に手を出して、自分で生きる道を進んでみようと思いました。
しかしそれもそんなにうまくはいかず結局続けることはできないまま露頭に迷いました。
本当にいろいろ試行錯誤しましたね。
環境を変える(今までを断ち切る)ため東京で独立して働いている友人のところに出向いたり、頼れる人だと思っていたのに結果的に詐欺師だった人のもとで仕事をしていたり、とある目的があって派遣社員として携帯ショップで働いてみたりしました。
お金は増えることなくどちらかといえばじりじりと減る一方です。
こんな状態でしたが僕の原動力になったのが当時の元カノと、
派遣社員として働いていた時期からお付き合いし始めて今現在も一緒にいてくれる彼女の存在でした。
僕は寝たらすっきりする性格なので、嫌なことやつらいことがあっても大きく落ち込んだり、ずっと引きずったりすることはしないです。
でも実際は僕が気付いていないだけで彼女の存在が僕を支えてくれて部分もあるかもしれないですね。
そんな人生を歩みながら、今は物流業界と全く畑違いではあるもののシステムエンジニアとして働いています。
まだまだ新米でさっぱりわからないことだらけですが自分自身に適性はあると強く実感しています。
SEの仕事をしつつ、ブログやYouTubeなどの配信媒体で僕の経験や趣味などを発信し僕のもうひとつの柱にしていけたらと思っています!
とんでもなく長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。
感想などをいただけるとめっちゃ喜びます。
「長すぎなんじゃ」とかでもOKです笑